2010/11/14
SUPER GT Special Round

アンドレ・クート、深い悲しみを乗り越えFUJI SPRINT CUPに出場

白血病と勇敢に戦っていたアンドレ・クートの愛息アフォンソだったが、去る11月3日、わずか7歳5ヶ月で天国へと旅立った。その悲痛な出来事のわずか10日後にもかかわらず、アンドレ・クートは、自身を、また闘病生活を送るアフォンソを勇気づけてくれた多くのファンへのお礼の気持ちを込め、そしてレースが大好きだった息子へ捧げるために、グラサ夫人と2歳の娘カタリーナを伴い「JAF Grand Prix SUPER GT & Formula NIPPON FUJI SPRINT CUP 2010」に出場した。

富士スピードウェイを舞台にしたこのイベントは、今季のシリーズ戦を終えたSUPER GTと全日本選手権フォーミュラ・ニッポンを併催し、日本のモータースポーツ活性化を目指し、またモータースポーツを支えるファンへの感謝を趣旨とした史上初のビックイベントとなった。更に「JAFグランプリ」のタイトルを20年振りに復活させた他、往年の名選手によるレジェンドカップの開催など、まさにモータースポーツの祭典となった(3日間観客動員総数65,500人)。ルールも通常とは異なり、SUPER GTでは2名のドライバーそれぞれによる公式予選を金曜に行い、GT500、GT300各クラスごとに22周の超スプリントレースを土・日に行う方法が採用された。GT500勢では、LEXUS TEAM SARDはアンドレ・クートが土曜日の第1レースを、そしてチームメイトの平手晃平が日曜日の第2レースを戦うこととなった。

10月12日(金)秋晴れのもと、朝のSUPER GTの走行練習の前に、全参加チームとドライバーがピットレーンに揃ってアフォンソへ黙祷を捧げた。そしてアンドレはおよそ2ヵ月半ぶりとなるDENSO DUNLOP SARD SC430をドライブ。ブランクを感じさせない走りで午後の予選へと駒を進めた。そして14時35分から第1レースに参加するGT500クラスの13台、13人のドライバーによる公式予選(20分)がスタートした。39号車は1’34.260のタイムを記録して11番手で予選を終えた。
また第2レースの予選は平手晃平が13番手(1’35.216)で翌日のレースを待つことになった。

翌13日(土)、富士山麓はややうす曇ながら穏やかな秋の一日となった。富士スピードウェイでは朝からファンのための様々なプログラムが催され、いよいよSUPER GTのGT300そしてGT500クラスの第1レースへとスケジュールが進んだ。

15時10分、今回の特別ルールとして採用されたスタンディングスタート方式でGT500の13台のマシンが一斉にスタート!そこで11番手から絶好のダッシュをきめたDENSO DUNLOP SARD SC430を操るアンドレ・クートは、何と7ポジションアップの4位でオープニングラップを終えて戻って来ると、更に前のマシンをも攻略しそうな勢いで5ラップを攻める。しかしその後、少しずつラップタイムは落ち始め、3~4周ごとに後方のマシンに先行を許してしまう。後半に入るとアンドレは大きなアンダーステアを訴え、遂に19周終わりにタイヤ交換を余儀なくされてしまう。結局、10位でレースを終えることとなった。

また、14日(日)もファンと共にサポートレースやセレモニーなどが行われ、午後よりフォーミュラ・ニッポンのレースに続きSUPER GTのクラス別第2レースが行われ、LEXUS TEAM SARDの平手晃平は8位でフィニッシュした。

アンドレ・クート
「スタートがきまり、数周は思いっき攻めて行きましたが、残念ながらタイヤが徐々にきつくなり、グリップダウンと共にドライビングがどんどん難しくなってしまいました。でも今回のイベントは僕の周囲のすべての皆さんが僕と家族を温かくサポートしてくれたおかげでとても楽しめました。本当に有難うございました。」

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今回、レクサスドライバーは「LGDAヘルメットカラーリングコンテスト」でドライバー自ら選んだヘルメットを装着してレースへ出場した。アンドレ・クートは安部由華さん(5歳)のデザインでペイントが施されたヘルメットでドライビングを行った。このヘルメットは2週間後のTMSF(Toyota Motorsports Festival)にて各入賞者へ贈呈される。

Photos by T.Moriyama