2010/06/20
SUPER GT Rd.4 Sepang

アンドレ・クート、苦しいレースを10位で終える。

SUPER GT第4戦は6月19、20日の両日、舞台をセパン・インターナショナル・サーキット(マレーシア)に移して開催された。2000年からスタートし、今回記念すべき10周年を迎えたセパン戦だが、赤道に近い灼熱のレースは毎年、マシンやタイヤ、そしてドライバーに過酷な条件を与えている。
その2004年大会を優勝で飾ったGRMドライバーのアンドレ・クートは、現在シリーズランキング10位。この中盤戦で確実にポイントを稼ぐことがシーズン後半の行方を占う上でも重要となる。


6月19日(土)、公式予選が行われたこの日は熱帯雨林気候独特のスコールに見舞われることもなく、セパン・サーキットの上空は終日晴れわたっていた。
そして、10:45~11:15の公式練習が始まる時点で気温は既に32℃(路面温度40℃)まで上昇していた。その中で各チームは午後の予選に向けたマシンの調整を進めた(GT500クラス:13台、GT300クラス:19台)。このセッションでのDENSO DUNLOP SARD SC430のタイムは11番手となる2’00.465だった。
公式予選1回目は14:15からスタート。初めの30分はGT500とGT300の混走セッション。ここで二人のドライバーが基準タイムをクリアし、その後各クラス専有のセッションへと続き、それぞれタイムアタックに入る。この時点で気温は34℃(路面温度42℃)に達していた。アタックドライバーのアンドレ・クートは、DENSO DUNLOP SARD SC430の39号車を操り10分間のセッションでベストを尽くした。しかし、中高速コーナーの多いレイアウトや路面状況にタイヤの特質がマッチしなかったか、結果は13番手のタイム(1’59.315)に止まり、スーパーラップ進出は成らなかった。


翌20日(日)は朝からやや曇り空だったが、気温31℃、湿度は70%と蒸し暑く、セパンらしい決勝日を迎えることとなった。朝のフリー走行でマシンの最終確認を行った各チームは16:00のレーススタート時刻を待った。その間、コース上ではScirocco Cup China、Toyota Vios/ Yaris, GT3 Asia Seriesのサポートレースが開催され、またピットウォークを始め様々なイベントがサーキットの随所で行われ、マレーシアのモータースポーツファンは存分にその模様を堪能していた。(主催者発表入場者数:27,500人)

そして、気温37℃(路面温度48℃)まで上昇した中で、いよいよメインイベント、54周に及ぶSUPER GT「SUPER GT INTERNATIONAL SERIES MALAYSIA」の火蓋がきられた。
LEXUS TEAM SARDのスタートドライバーを担ったアンドレ・クートは、7列目インサイドからスタートしたが、前方にトラブルを抱えスピードに乗れないマシンがあったため、行く手を阻まれながらのスタートとなってしまった。しかし、持ち前のアグレッシブさで12番手から先頭集団を追うアンドレ。13周目にはペナルティによって後退したマシンがあったため1つポジションアップ。しかし、前を行くライバル勢のペースは速く、39号車とトップとのギャップは徐々に広がっていった。その結果、19周目には再び12番手に落ちアンドレの我慢の走りは中盤まで続く。そしてレースが22周目に入ったころから、GT500勢にピットストップを行うマシンが出始めた。アンドレは粘ってやや遅めの28周でピットイン、給油・タイヤ交換を済ませステアリングをチームメイトの平手晃平へ託した。その後、平手もステディな走りでレースを続け、51周目に緊急ピットインを行ったマシンを、更に53周目に接触によりコースアウトした1台を交わして2つポジションアップ。更に9番手争いを果敢に展開するが、これにリヤタイヤが耐え切れず思わずスピン。その結果、DENSO DUNLOP SARD SC430は10番手(1ポイント)のままチェッカーフラッグを受けた。

アンドレ・クート
「タイヤにとってとてもハードなレースでした。残念ながら思うような速さが得られませんでしたが、僕たちは出来る限りの力で頑張りました。次戦ではもっと上のポジションでレースを終えられると良いですね。応援をよろしくお願いします!」


次戦のSUPER GT第5戦は7月24~25日、スポーツランドSUGOにて開催される。

TOPICS:
既報の通りアンドレ・クートの長男で、昨年秋から白血病に苦しんでいたアフォンソだったが、SUPER GT第3戦の数日後に適合する骨髄ドナーが見つかる幸運に恵まれた。そして2週間後の5月20日、ポルトガルにて骨髄移植を受けた。その後医師団の細心のケアによる処置を受けながら、7歳になったばかりのアフォンソは少しずつ回復の方向に向かっている。そして移植後4週間目の6月18日、ついにアフォンソへ自宅での療養が許可された。この朗報は既にセパン入りをしていたアンドレに家族から入り、久しぶりにアンドレに安堵の笑顔が戻った。そして、一人の父親として「これから完治までまだ少し時間はかかると思われますが、これまでアフォンソは辛い治療を乗り越えてきました。彼の勇気、強さがあれば再び彼がサッカーを楽しむことも可能になるでしょう。本当に皆さんの温かいご支援に感謝の気持ちで一杯です。これからも息子の回復を見守ってください。心から、どうもありがとう」とコメントした。
Photos by T.Moriyama
 Result, Ranking, informations: SUPER GT Official Website
LEXUS TEAM SARD