2011/05/01
SUPER GT Rd.2 Fuji

東日本大震災を乗り越え、2011 SUPER GT開幕! A.クート、最後尾から驚異の追い上げで一時6番手へ。しかし結果は不運な11位。

3月11日に起きた国内最大規模、マグニチュード9.0の東日本大地震は東北から関東にかけて未曾有の惨事をもたらした。この影響は被災地以外にも電力供給、交通機関、また企業の生産活動にもおよび、「戦後最大の危機」と位置づけられた。そして、4月2-3日に岡山国際サーキットにて開幕される予定だったSUPER GT第1戦も5月21-22日に延期された。その間、大震災による多くの犠牲者への冥福を祈り、避難生活を余儀なくされている被災者を見舞い、モータースポーツ界でも震災復興支援の活動が繰り広げられている。
こうした大きな悲しみや苦しみに日本中が包まれている中、被災者へ少しでも明るい話題を提供し、夢と勇気を届けようと、本年度のSUPER GT全大会を「東日本大震災復興支援大会」として開催されることとなった。

そうした苦難を乗り越えてのSUPER GT第2戦、今季の実質的な開幕戦となる「2011 AUTOBACS SUPER GT 第2戦 FUJI GT 400km RACE」が富士スピードウェイを舞台に4月30日-5月1日、その火蓋をきった。
GRMドライバー、アンドレ・クートにとっても7年間過ごしたLEXUS TEAM SARD(ダンロップタイヤ)からLEXUS TEAM KRAFT(ブリヂストンタイヤ)へ移籍後の初であり、新しい環境で自身のパフォーマンスを披露する1戦となった。

今大会は、震災により事前テストがキャンセルされたことを受け、4月29日(祝)にはフリー走行枠が設けられ、新しいカラーリングのGTマシンが出揃った。グリーン&ブルーに赤をタッチカラーとしたD’STATION KeePer SC430(35号車)は脇阪寿一選手がセッティングを、アンドレ・クートはロングランを担当し、チームが創意工夫を施した様々なパーツや仕様をトライしながらドライビングを行った。

公式予選日の4月30日(土)、朝の公式練習(9:10-10:55)は心地よい春風が吹く好天に恵まれた天候の中スタート。GT500クラス15台、GT300クラス21台が、午後の予選に向けたマシンの最終調整を行った。このセッションでのD’STATION KeePer SC430のポジションは12番手(1’34.913)。
そして、公式予選1回目(13:15-14:00)の時間になると、天候は突風を伴う曇り空へと富士山麓の天気は変化。その中、2クラスの混走からセッションがスタート。まず、二人のドライバーがGT500、GT300合同の走行セッションで基準タイムをクリアした後、各クラス10分間の占有セッションへと進んだ。しかし、そこで35号車に電気系トラブルが発生!予選アタックを行う予定だった脇阪はマシンをピットに置いたままセッションタイムは過ぎていった。結局、チェッカーフラッグが振られる直前にコースインしたもののアタックには至らずLap8に出したタイム(1’36.213)のみが残り15番手で予選を終了した。

アンドレ・クート
「大地震では多くの方が被災され、愛する人を亡くされた方々のことを思うと本当に心が痛みます。また福島原発の事故は海外にいる僕たちにも大きな衝撃で、一日でも早い終息を願っています。しかし、日本人の冷静さ、人を思いやる心に僕たちは感動し、「がんばろう!ニッポン」とエールを送ります。
明日のレースは最後尾から追い上げることになりましたが、まだ避難所での生活を余儀なくされている数多くの被災者の皆さんの頑張りに負けないよう、僕達も一丸となってベストを尽くします!」


5月1日(日)、富士スピードウェイ上空には朝から雨雲は広がり、時々小雨が降る天候となった。8:30から30分間のフリー走行もウェットコンディション、全車雨が予想される午後のレースに向けてのウォームアップを行った。アンドレ・クートはD’STATION KeePer SC430の感触を確かめながら6ラップほどドライビングした後、ハイスピードコーナーでのアンダーステアが気になり、エンジニアへその情報を伝えていた。

やがて66周で競われる決勝スタート時刻が近づいたが、スタート前のウォームアップで再び大粒の雨が落ち始め、コースは瞬く間にヘビーウェット状態へと変化。気温は13℃(路面温度14℃) と低い中、36,000人(2日間述べ60,000人)のGTファンは刻々と迫るスタート時間を待った。また、決勝5分前には東日本大震災の犠牲者への哀悼の意をこめ、1分間の黙祷が捧げられた。

そして14:00、GT500/GT300合計36台による2011年の開幕レース(66周X4.563km)がセーフティーカー(SC)先導によってスタートした。路面状況を判断していたSCが退出した6周目にグリーンフラッグが振られ、全車はアクセル全開で1コーナーへ!グリッド15番手に就ける35号車のスタートを任されたアンドレ・クートは、7周目に14番手、次の8周目には11番手まで見事なポジションアップを図る。滑りやすく、シャワースクリーンで視界が遮られながらも、アンドレは巧みなドライビングで前方のマシンをオーバーテイク。その素晴らしいパフォーマンスによりD’STATION KeePer SC430は9周目に10番手、13周目に9番手、15周目に8番手、そして18周目には7番手へと順位はじわじわと浮上!この間にも緊急ピットインを行うライバル勢が続出するが、アンドレ・クートは集中して走り続ける。23周目に6番手に就けていたアンドレは25周目に後方から迫って来たマシンの先行を許すものの、落ち着いてコンスタントなドライビングを続ける。アンドレは雨が小降りになった中盤もそのポジションで踏ん張るものの、34周目には速いペースの39号車、ポールシッター:DENSO SARD SC430(ミシュラン)に交わされ7位へと後退。そして、44周を見事に走り終えてチームメイトの脇阪寿一へとステアリングを託した。再び雨脚が強くなる中、コースに復帰した脇阪は8番手をキープしつつもベテランらしいドライビングでトップ集団を追う。しかし、57周目ごろから更に雨脚が強まり、35号車は59周目にピットインを行い、深溝のタイヤへ交換。11番手で復帰した。
ところがなんとその直後、それ以上の走行は危険と競技長が判断し、赤旗提示を指示。結局レースはそのまま終了となってしまった。その結果、D’STATION KeePer SC430のリザルトは11位。惜しくもポイント獲得には至らなかった。

アンドレ・クート
「予選が出来ず、決勝は最後尾からのスタートを余儀なくされましたが、ウェットのレースとなり逆転できるチャンスはできました。僕の受け持ったスティントでは、初めは前が殆ど見えない大変難しいドライビングを強いられましたが、追い上げられるだけ追い上げようとベストを尽くしました。ジュイチに交代した時点ではコースの一部が乾き始めたセミウェットだったので、彼のスティントにはインタインターミディエイト(タイヤ)が使われました。そのままでは後半の大雨での走りは大変リスキーでした。そのために行った1周早いタイヤ交換が裏目に出てしまいました。でもまだ1戦が終わったばかり。次戦での挽回を頑張ります。どうぞこれからもD’STATION KeePer SC430を応援してください!」


TOPICS:
サーキット入り前日の4月28日(木)、昨年からGTAが実施している骨髄バンクの認知促進活動の一環として、アンドレ・クートはホンダドライバー、武藤英紀(ARTA HSV-010)と日産ドライバー、柳田真孝(S Road MOLA GT-R)両選手と共に、静岡県立こども病院(静岡市)を訪問。

3人のGTドライバーは、白血病などの病気により入院を余儀なくされている子供達やその家族を前に、自己紹介や週末のSUPER GTへの意気込みなどをスピーチ。そしてSUPER GTマシンのラジコンやミニカーのプレゼント。子供達は初めて会うドライバーの話やサイン入りプレゼントを喜び、記念撮影では明るい笑顔を見せた。

アンドレは子供達から「頑張ってください!」と声援を貰い、また彼も一日でも早い子供達の快復を心から願った。

Photos by T.Moriyama and M.Hirata